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大阪高等裁判所 昭和36年(く)64号 決定 1961年12月11日

被告人 西村幸夫

主文

原決定を取消す。

本件異議申立を棄却する。

理由

大阪地方検察庁検察官次席検事門司恵行の即時抗告申立の理由は、要するに、第一、本件収監状の執行当時本件異議申立人には逃亡の虞があつたのであり、原裁判所がこれを逃亡する虞が全然なかつたものと認定して、検察官の収監状発付を違法であると断じていることは不当である。第二、本件収監状は仮出獄取消の効力の発生した後直ちに執行すべく予め作成したものであるから、その作成が仮出獄取消決定の効力発生前であるからといつて違法とは言えない。第三、原裁判所は収監当時の本件異議申立人の病状より本件収監は不当であると認めているが、収監後の申立人の病状より考察するも本件収監は不当とは認められない。というのである。

よつて原裁判所及び当裁判所の事実取調べの結果その他一件記録に徴して判断するに、本件異議申立人西村幸夫は、山口組々長亡山口丑松の子分であつたが、その子分の一人文川哲夫こと李正桓が親分である山口丑松に盃を返そうとしたことを同人等の社会では捨て置けない重大事であるとして憤慨し、同組員桝本日出太郎と共謀して同人を殺害しようと企て、昭和三三年九月一二日午後一一時一五分頃大阪市西成区旭南通五丁目四番地穂苅荘アパート前路上で西村が拳銃を以て李正桓を狙撃し、因つて同人に対し治療約二週間を要する左腰部貫通銃創を与えたが、その殺害の目的を遂げなかつたという殺人未遂及び同日自宅で拳銃一挺実包一五発を隠匿所持したという銃砲刀剣類等所持取締法、火薬類取締法違反の各罪により大阪地方裁判所で懲役三年に処せられて、その受刑中、昭和三六年七月三一日仮出獄(刑の終期昭和三六年一〇月二九日)したが、右西村幸夫はその後間もなく、同年八月一九日午后一一時過頃山口組々長山口丑松が鶴和会の会員に襲撃、殺害せられたことに激昂し、他の山口組々員と共謀して鶴和会の副会長李明充及び同会の会員北野雅夫の両名を殺害すべく、その翌二〇日午前〇時三〇分頃大阪市西成区千本通二丁目二七番地末広商事内及びその前の道路上で、日本刀を以て右両名を滅多切りし、因つて李をして同所で頸、腕等の割創による出血により死亡させ、北野に対しては治療約三ヶ月を要する大腿部、頬部切創等の傷害を与えたが、同人殺害の目的を遂げなかつたという殺人及び殺人未遂の事実について、勾留の上同年九月一六日起訴せられ、その後西村は痔の治療のため同三六年一〇月七日大阪市阿倍野区阿倍野筋三丁目七二番地の相原第二病院を制限住居として同日から同年一一月六日まで勾留の執行を停止せられて、同病院に入院し、同年一〇月一三日肛門全周にわたつてホワイトヘツド氏手術を受け、引続き同病院で加療を受けていた。ところが近畿地方更生保護委員会は、西村幸夫が右李明充及び北野雅夫に対する殺人、殺人未遂の罪を犯したのは、仮出獄中遵守すべき事項を遵守しなかつたものであるとして、同年一〇月二四日前記仮出獄を取消す旨の決定をなしたのであるが、大阪地方検察庁においては右決定に先だち、予め同委員会の方から西村幸夫に対し仮出獄取消の決定がなされる予定である旨の連絡を受け、同委員会側の意向も聞き、従来の仮出獄取消の場合の例や右西村幸夫についての具体的な諸般の状況から考えて、仮出獄取消決定が同人に告知されたならば同人において逃亡する虞があり、且つそれまでの病状経過から見て、同人の身体の状況はもはや収監に堪えうるものと判断した結果、同月二四日同委員会より仮出獄取消通知書を受取るとともに同検察庁検察官本井吉雄は、右仮出獄取消決定が本人に告知された後執行すべく収監状を作成発付してその執行を命じ、同検察庁松野良秀外二名の検察事務官は右収監状を携えて、西村本人に対する右取消決定の告知に赴く近畿地方更生保護委員会事務官久保修等に同行して、同日午後四時頃前記相原第二病院に至り、右検察事務官等は同病院において本人の病状を見、係医師の意見を聞いた上収監に堪えうるものと認めて、右久保修が仮出獄取消決定を西村本人に告知し同決定が効力を発生した直後の同日午後四時一五分前記収監状を執行し、西村は同日午後五時三〇分頃大阪拘置所に収容せられたのである。

しかして、西村幸夫の前示確定判決のあつた犯罪事実及び最近起訴せられた犯罪事実、右一〇月二四日当時西村が山口組若頭として喪主となり昭和三六年一一月一日大阪御堂筋難波別院において組長山口丑松の本葬儀が行われることになつており、西村はその葬儀には甚大な関心を持つていたと考えられること、これまでの未決、既決の犯人の各種の逃亡事例、殊に拘置所その他の矯正施設外にある者に対し仮出獄の取消がなされた場合には逃亡する事例の多いこと、当時西村は手術後の経過も良好で、十分ではないが歩行は可能であつたこと等より考えて、当時西村が前示のような仮出獄取消決定があつたことを知つたならば、同人の身辺に看視が付いていたわけではないから、同人が逃亡するかも知れないということは十分考えられるところであつて、原決定のいうように逃亡する虞が全然なかつたものとは到底考えられない。従つて検察官において同人に逃亡する虞があると判断したのは何等不当ということはできないし、又従つて検察官が予め刑執行のための呼出をすることなく直ちに収監状を発したことも固より違法とはいえない。

次に仮出獄取消決定に基く残刑執行のための収監については、本人に対するその決定の告知(これによつて同決定の効力が発生する)により、本人が逃亡する虞がある場合には、本件のように、検察庁において仮出獄取消の通知を受けた後、本人に対するその決定の告知前に、検察官が収監状を作成発付して置き、仮出獄取消決定をした地方更生保護委員会の事務官が本人に対する同決定の告知に赴く際、右収監状を携行した検察事務官がこれに同行し、その決定の告知直後、同収監状を執行するという取扱は従来から一般に認められている所であつて、収監を確実に行うためにはかかる方法を採ることが必要にして止むをえない場合もあるのであつて、犯罪者予防更生法第四四条第三項により、仮出獄を取消された者の収監の場合にも適用される刑事訴訟法第四八五条はそのような収監状の発付の仕方を禁ずる趣旨とは解し難く、このように解したからとて、原裁判所の即時抗告に対する意見書にいうように、憲法第三一条違反の問題を生ずる余地はないと考えられるし、又検察事務官が右仮出獄取消決定を本人に告知する前に同収監状を執行した場合にその違法が刑事訴訟法第五〇二条によつて救済されないというような不都合を生ずるものとは考えられないのである。

更に右昭和三六年一〇月二四日午後四時一五分本件収監状の執行当時頃の西村幸夫の健康状態を考察すると、当時は前示痔の手術をした日から一二日目で、その脱肛手術としての経過は良好で、約半分程抜糸してあり、歩行も辛うじてできる程度になり、本人の身の廻りの始末は自分でできないわけではなく、排便の始末は自分では少々無理だと思われるが附添いはあつた方がよいという程度であつて、相原第二病院の係医師としては西村の右手術あとはその後二週間位で治癒するものと見て、引き続き同人を同病院に置きたい意向を示し、収監することには一応反対したことが認められるけれども、同人の健康状態そのものは拘禁に堪え得ないような状況にあつたものとは認められず、同人が大阪拘置所に収容せられてからの同年一〇月二六日の医師の診断もその後約二週間の安静加療を要するが拘禁には堪えうる、患部に対する手当は同拘置所において可能であるというのであつて、その後の西村の健康は日々回復していることが認められるのである。西村は右収監の当初頃は排便の際等に相当苦痛を感じたようであり、同人の健康の回復、特に手術後の加療のためを思えば、検察官において同人の逃亡の虞に対しては何等か適当な防止策を講じ、同人をしてなお数日右病院における治療を継続させる措置を取りえなかつたわけではないとも考えられるけれども、前示のような状況下における本件検察官の収監処分を以てその取消を免れないような不当な処分であるとは認められない。

以上の理由により、原決定が、西村幸夫には逃亡する虞がなかつたのに拘らず、収監状発付の前提要件としての呼出をしなかつたこと、同人に対する仮出獄取消の効力発生前にその残刑執行のための収監状が発付せられたこと、当時の西村の病状健康状態等よりしてその収監状の執行は不適当と認められることの理由を以て本件検察官の収監処分を取消したのは、原決定の志向するところは了解できるにしても、結局において正当とはいえないのである。

よつて本件即時抗告は理由があるから刑事訴訟法第四二六条第二項により原決定を取消した上、本件異議申立を棄却すべく、主文の通り決定する。

(裁判官 奥戸新三 塩田宇三郎 竹沢喜代治)

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